くまちゃん / 角田光代

たまたまタイミングが合わなかっただけ。なのかもしれない。その時のその人にとって、たったひとりの彼や彼女だけが、どうにもならない存在だった。
出会う時期がほんの少し後だったら、ちがう関係になれていたかもしれない。でも、「その時」「その場所で」「そういう出会い方」をしたがために、AさんはBさんにどうしても追いつくことができない。そういう二人になってしまった。

あるいは、たまたまタイミングが合ったからそのときはうまくいっていた、とも言えるかもしれない。(うまくいっているように思えただけ、かもしれないが)
恋愛に限らず、人と人の縁はそのくりかえしで、だれかがだれかに影響を与え、その影響を与えられた人がまたちがう別のだれかに影響を与えて、くっついて、しばらく一緒にいて、やがて離れる。それだけのことなのだと思う。しかし、ただそれだけのことが、とっても大きい。


人との関係がうまくいかなくなったとき、「なぜうまくいかなくなったのか」を明確に言葉にできる人は、実はあまりいないのではないかと思う。
だってなんかうまくいかなくなっちゃったんだもん。なんか理由はあるんだろうし、がんばれば説明できるかもしれないんだけど、いや、ちがうんだよ、もうね、うまくいかなくなっちゃったの。そういうことなの。
そういうことなんだと思う。

もしくは、両者がそれぞれ自分の言葉で自分たちの関係に対する気持ちを表現できたとして、そしてそれが同じ言語で繰り出されているのだとして、それでも、本当に同じ話題について語れていることもそうそうないのかもしれない。
ズレを認識することはけっこうな重労働なのだと思う。それに対する向き合い方は千差万別だとしても。
気になったら即言う人。気になってるんだけど言い出せない人。おそらく自分は気になってるんだろうけど気にしないようにして笑っている人。まあそういうもんっしょ他人同士なんだから、と軽やかに過ごしているが、実はそれは気にしすぎていることの裏返しな人。まったく気にしてないけど、あるとき急に気づいて爆発してしまう人。そのどれもに、負のエネルギーが宿る。「ああ、この人と自分はちがうんだ」という動かしようのない事実は、どうしようもなく人を苦しめることがある。
それは遅効性の毒のようなものだなと思う。


恋愛にかぎっていえばしかし、作中にもあるように、身を投げ出して愛を語り合った日々が嘘や幻だったかのように、そこにあるとき急に終止符が打たれ、もう生きていけないやっていけない二度と恋なんかするか馬鹿とあらゆるものを呪いながら暗闇に投げ出される経験をしても、人はまた恋をする。その痛みに自ら飛び込んでいく。
それは哀れでもあるが、そこに人間の強さとおかしみがあって、僕は、人間ってとっても愛おしい生き物だな、自分も含めて、と思う。

本とか

主に読書感想文、たまに思ったこと。

0コメント

  • 1000 / 1000