よるのふくらみ / 窪美澄

カップルの性事情。いろいろある。
それは、付き合いの長さや純粋な加齢によって、時間とともに形を変えていく。消えてなくなることもある。

セックスが好きな人もいれば、嫌いな人もいる。なければ生きていけない人もいれば、なくても生きていける人もいる。四六時中しまくっている人もいれば、したいのにできない人もいる。
愛の深さゆえにするのが自然だと考える人もいれば、愛がなくても全然オッケーという人もいる。すればするほど愛が深まるから美しいんだという考え方もあれば、そんなことでしか愛を測れないのか汚らわしいと忌避する意見もある。

単に身体的で生理的な欲求なのかといえばそうではなく、感情と綿密に絡みついている。大いにある。肌にふれて、体温を感じるだけでもじゅうぶんなときだってある。
“コンディション”とひとくちに言ってもさまざまな要素のうえでの“コンディション”であって、完全に制御できるものではないのがこいつのとってもめんどうなところ。


いろいろある。
いろいろなことがある。
あるが、おそらく世間一般的には、このことをオープンに話すのはある程度はばかられるふしがある。
「求めるのは恥ずかしいことだ」とされている。
イケナイコトである。
そっと暗闇に追いやられる。
その人がどんなに純粋に誰かの肌を求めていたのだとしても、受けとる人によっては「淫乱」になる。自分の中にも“それ”が少しはあるはずなのに。


人それぞれの生理のズレを、どう解消していくか。という問題。
話し合いか。待ちか。破局か。それ以外に何か方法はあるのか。
この問題は、人間が社会を持ち始めてから何千年ものあいだ、すぐそばに横たわっている。僕らはそのこととつねに向き合って生きていかなければならない。結婚はゴールではないが、スタートでもない。生殖機能を持って生まれた時点からずっと同じ延長線の上にいて、無視していてもいつか唐突に、さてどうするか、を考えざるを得ないどうしようもない体。人間はそれをいっつも持て余しているなあ。

本とか

主に読書感想文、たまに思ったこと。

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