少女七竈と七人の可愛そうな大人 / 桜庭一樹

人の容姿は呪いだ。

醜いことが呪いなのであれば、美しすぎることもまた呪い。
そしてまた、平凡すぎる顔も呪いである。その顔をもつ本人がそう思ってしまったのであれば、四六時中、心を支配する。



平凡であることから逃れたくて七人の男とある期間狂ったように寝た母と、そのせいで望まぬ美しい容姿に生まれてしまった娘は、一見すると似ても似つかない親子だが、それぞれが囚われていることはほとんど同じである。
呪われた容姿、そして、女であること。


母は、平凡な顔のせいで自らの女を満足に謳歌できなかった。
それで二十五歳のときに、唐突に、辻斬りのように男を漁る。それは、ただひとり、手に入れたいのに手を伸ばせなかったある男への思いが屈折して表出してしまったためである。
相手が既婚者だったから、というのは表の理由で、どうしたって逃れられない己の凡庸な見た目では何をどうすることもできない、自信の無さからに他ならない。
彼女は、彼女の、彼女であることを呪った。


その呪われた女が、七人のうちのひとり、ひときわ美しい男の種を宿すことによって生まれた娘は、その種の方の遺伝子のみを受け継いで、やはりひときわ美しく生まれた。
娘の美貌は、せまい町のなかでは隠れようと思っても隠せるものではない。本人が望んでおらずとも、日々羨望と、憧れと、憎しみと、好奇の目が向けられる。娘は窮屈そうにしている。
そして、自分自身がわからない。「美しい」ということ以外に、人々が彼女を評価することはない。

最終的に彼女を救うのは、かつて同じような目を向けられ、ある時期には華々しい芸能生活を送っていたが、今や中年となったひとりの女。
その中年女もまた、美しいがために自分自身がわからないでいた。そしてただひたすらに若い女であることを消費され、恋もせず、老いさらばえたその先に、初めてふつうの人間になれることを夢見た。結果それが完璧に叶ったかはわからないが、今はこれこのとおり無事に年を取った。さらには、同じ呪いにかかった者を日本中に探している。若く美しい女が、孤独のうちに悩み続けてしまわぬように。


美醜と、女であることに、ことさらに翻弄される人生を歩んでしまうのは、彼女たちが女として生まれた時点で逃れられないことなのだろうか。
たぶん男に比べて女は、ライバルというものが多い生き物なのではないか。特に若いうちは、中身よりも外面ばかりが注目される。それでもある程度満たされた十代二十代を過ごせば、そこそこの大人になってゆくのだろうが、それを取り逃がしてしまう場合、非常にバランスの悪い女になる。というようなことか。

それはなんだか悲しいことだが、少し可愛くもある。
可愛いと思ってしまう、男である自分は、どうか。僕は彼女たちに何を求めているのか。男と女ではなく、単純に雄と雌であったなら。人間社会は複雑だ。

本とか

主に読書感想文、たまに思ったこと。

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