娼年 / 石田衣良
欲望のかたちは人の数だけあるんだと思う。
ことに性欲はそのはずで、なぜならひとりひとり体の構造がちがうからだ。育ってきた境遇や触れてきたものによって、さらに味付けが進むこともあるだろう。
性欲は性別も差別しない。
男だから旺盛だとか、女は好きな男としか寝ないだとか、そういうのはたぶん、社会を滞りなく動かすために人間が時間をかけてつくりあげていった幻想だ。ほんとうにみんながみんな性欲を満たすためには、各々にオーダーメイドでなくてはならないはずだ。
だけど、その幻想が誰かを守ることも多分にある。
また、秘するからこそ「その時」の興奮が増大するともいえる。
つまり性欲とは、ほぼすべての人間が、大なり小なり持っていて、まったく同じ形では存在していないもので、当たり前にある個性なんだけど、履歴書の趣味の欄に堂々と書けるようなものではない。そんな不思議な種類の欲望だ。
そしてほかのすべての欲望と同じく、金になる。
『娼年』は、娼夫をはじめた20歳の少年リョウのひと夏を描いた作品で、いわゆる物語の筋というものはあれど、どちらかといえばささやかな短編の連続というつくりになっている。
リョウが仕事で出会う女性はどれも個性豊かだ。彼女たちの性の嗜好やそれへの向き合い方は、けっしてお昼のニュースでアナウンサーに読まれることはないだろう。しかし本人にとっては切実で、だからこそ高い金で「満たされるための時間」を買う。健全だ。どう考えても健全だ。それによってふだんの生活が滞りなく過ごせるのであれば、誰からも批判されるべきではない。
祖母ほどの年齢の女性に対してすら、ふとした瞬間にリョウが「かわいい」と思えてしまうのは、(もちろん彼自身の性格と才能によるものだとしても)ひとりの女性の、誰にもいえない欲望がおさえきれずあふれてしまっているからだと思う。そういう瞬間は、きっと誰でもかわいくなってしまうものなのではないか。
というか石田衣良は、比喩がうまい。
セックスの描写がふんだんに出てくるが、下品ないやらしさを感じさせない。でも官能小説といったふうでもない。できるだけ丁寧に、大げさにならない程度に的確にたとえて、それでいて淡々と状況を描写する。これは、どこか世の中や自分を冷めた目で見ているリョウ視点だからこそなのかもしれない。
ただこれによって、人物たちの欲望が切実なものであると感じられる。正しい表現かはわからないが、「筆舌を尽くしている」と感動した。
特に、イツキさんとアズマの話がよかった。
物語終盤で起こる事件は、現実社会で考えればまあそうだろうなというものだし、リョウの決断もうなずけるものだったので、個人的にはそういう「何があってどうなってこうなった」ということよりも、彼がした仕事の細かな内容のほうが読んでいて興味深かった。
あとあとになって、○○さんとのセックスの章だけを読む、というような楽しみ方ができる、とっても味わい深い小鉢みたいな作品だった。
かなり満足。
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