リバース / 湊かなえ

まず、ミステリとしてかなり練られていて、事故のあった当日の顛末から、その後に起こる事件の運び方、主人公がその真相にたどり着こうとするまでの流れ、などなどがとても丁寧に描写されている物語だった。読後、「あぁ……」という重いため息とともに、全身の力が抜けた。
ミステリ作家としての湊かなえは、やはりすごい。


が、この作品で主に語るべきは、人間の自意識についてだろう。
人間は集団の中で、他人を、あるいは自分をカテゴライズする。目には見えない「ヒエラルキー」というものを構築して、グループに分かれる。サッカーがうまいとか、アニメの話をよくしているとか、見目麗しいとか、口下手だとか、そういうことが評価の対象になり、集団の中で上下関係が生まれる。
だがこれはむしろ動物的本能によるものかもしれない。人間だけが特別に、自己と他者を分けているわけではない。強い者が上に立ち、弱い者は虐げられる。つまらないことだが事実としてある。
とにかく、社会にはそんなことがあふれていて、特に学生時代はそれが顕著で、どんな人間も多かれ少なかれ自分の振る舞いを左右されている。支配されてしまっている人もいる。支配されてしまうと、自分のみならず他人でさえもそのフィルターを通してしか見ることができなくなる。寂しいことに。

吉梅あおいという登場人物が話していた、人の「色」の話。これはヒエラルキーとはまた少しちがった目線で、こちらのほうがまだ救いがあるようには思えた。人間には色が付いていて、同系色の人となら混じりやすいし、逆だと合わない。
だがこれも印象程度のことでしかなくて、実は最も危険な考え方なのではないかとも思う。


主人公・深瀬が広沢に抱いていた友情は、本当に友情と呼べるものだったのか。彼はかなりヒエラルキーに支配されていた人間だったようだ。広沢と一緒にいる自分を肯定したかったし、広沢にも自分が唯一無二の親友であると思っていてほしかった。だが本当はそうではなかったのかもしれない。いや、しかし……という風に考えてしまう性質で、その鬱屈した思いにイライラするが、反面、共感する部分もある。僕自身にもそういう側面があるのだろう。そういえば、自分の人付き合いを客観視してしまう感覚がないとは言い切れない。
最後まで読むと、深瀬のその考えは杞憂であるとわかる。というのも、他人の中身なんて自分一人が全部わかることなんてないからだ。人間には付き合いのぶんだけちがう面がいくつもある。見えない部分も含めてその人なのだ。そのことにショックを受けるのではなく、そういうものなのだと受け入れることが大事だ。ショックを受けてしまうのは、己の生きている世界が極端に狭いからに他ならない。

だがおもしろいもので、深瀬は広沢の足跡をたどっていく過程で、広沢のことだけでなく自分の輪郭も濃くしていったように思える。自分が見ている自分だけでなく、他人が見ている自分もまた自分なのだ。


大人になっても、「あいつは学生時代、地味なグループにいたけど、そういうタマじゃない。社会に出てからもイケてない奴らと一緒にいないか心配だったんだよ」なんて言っているような人間は嫌だ。「彼のことが好きだけど、私なんかじゃ釣り合わないかもしれない」とか言うけれど、話してみないとわからないこともある。
とは言え、そう考えてしまうのが人間なんだよなあ。広沢みたいに自然体で、何にも染まらないで生きていけたらいいんだけどな。彼は彼で、その生き方なりの悩みがあったようだけど。

本とか

主に読書感想文、たまに思ったこと。

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