センセイの鞄 / 川上弘美
この『センセイの鞄』という本は、とても小さな話である。ゆえにいとおしい。
この人といると、なんかいい。
という人が見つかることは幸せなことだ。そういうことは日々世界のなかで無数に起こっていて、人はそれをだれかに言ったり言わなかったりしながら、大切にする。
その他大勢にとってはどうでもいい小さな規模の関係でも、本人にとっては切実な話。だからいとおしい。
川上弘美という作家は、小さな個人に対してやさしい目線をもっている人だと思う。
人への思いが親しみから恋情に変わる瞬間というのはじつはあまりよくわからないことが多い。そういうことがこの本ではあらわしてある。
頭のてっぺんに雷が落ちるような若いころの恋もまたよいが、淡々と、かかわりの濃度をあげていくような、歳を重ねてからの恋愛にもちがった味わいがある。奇しくも僕は、この物語の主人公・月子とおなじ37歳である。
ところで、「恋情」ということばの響きはとても美しい。
話のおわりごろにある以下の記述がとても好きだ。
<昼飯っから、アルマイトの鍋でセンセイがつくってくれた湯豆腐をさかなに、ビールを飲んでいた。鱈も春菊も入っている湯豆腐だった。わたしのつくる湯豆腐は、豆腐だけである。こうやって知らない人間どうしが馴染んでゆくのだな、などと昼酒でぼんやりした頭で思っていた。>
人と人との関係は確実に深まっていくものだということ、それは確実でありながらも、ゆっくりゆっくりしているということ。
ただし、なぜ関係というのが深まっていくのかというと、お互いが対等であるからだ。そういうことが実感として体の中からわきあがってくるような、素敵な文章だと思う。
人と、切実にかかわってゆきたい。恋情だろうがなかろうが。そう思えた。
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