神様ゲーム / 麻耶雄嵩

なぜ人は、自ら進んで嫌な気持ちになりにいくんだろう。
人は、というか、僕は。
いややっぱり、人は。

この作品は前評判で、読んだらあまりいい気持ちにはならないと知っていた。でも手に取った。
そして読んだら案の定嫌な気持ちになって、もやもやした塊が体の中に残っている。これは長いこと残るんじゃないかと思う。
でも不思議とそれが快感になっているのも事実。毒薬口に甘し。または、カロリー消費の激しい運動に似ている。

人は、「せめてフィクションの中でだけは」嫌な気持ちになりたいものなのかもしれない。日常が穏やかである、という前提でだが。


そういう怖いもの見たさというのは、この物語の主人公である芳雄少年にもある。その先を見たらきっと後戻りできないよ、というところにおそるおそるではあるものの首を突っ込んでいく。何も知らない子供の好奇心ならば、それは大人以上かもしれない。
彼の足取りとともにページをめくっていくと、どんどん心が緊迫してくる。
とはいえ、彼には首を突っ込まずにはいられない状況があるので、仕方ないといえば仕方ないが。
しかしそもそもが、「神様」を自称する同級生に――ゲームという名目を持たせながらではあるにせよ――興味を持って踏み込んでいくくらいなので、元来ほかの人間よりも好奇心が強いともいえる。

神様、つまり鈴木君は物語における装置に過ぎず、突きつけられる現実はただの人間が普通に起こしうる事柄だ。そしてそこには「心」が介入している。
だから、いいこともあるし悪いこともある。悪いことのほうが多いのかもしれないとすら思わされる。


 
この物語の結末を、僕はどう捉えたらよいのだろうか。

「世界は思ったよりも残酷で救いがない」とでも思えばよいのか。
そして「それでも受け入れて強く生きていこう」と思えというのか。
大人なのである程度は受け入れることができるけど、こういうのは物語の中だけであってほしい。


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