地球星人 / 村田沙耶香

奈月は人間社会全体を「工場」だと捉えている。
「工場」では日々、生殖によって新たな「道具」が生産され、その「道具」たちも生命を生き永らえさせるために仕事をし、また、やがては「生産」する側になる。

だとしたら、この「工場」には非合理的なことが多すぎる。

たとえばある生産者は、自分が生産したものなのに、平気でそれに傷をつける。
つまり、親は我が子を虐待する。

たとえばある生産者は、他の生産者を用途のちがう道具にする。
つまりある大人は、何も知らない小学生を唆して、性処理のためだけに利用する。

これらは「生産」を止める行為になりうる。


むごいことばかりではない。

人は恋をする。しかし自分の恋路を邪魔する者は排除しようとする。べつに自分が生殖相手にならなくたって、その人の生命は未来につながるかもしれないのに。

勉強をがんばらない。将来いい仕事をしてお金を稼ぎたいなら、いろんな知識をたくわえておいて損はないはずなのに。

食べものの好き嫌いをする。後進を育て指導するためには、健康で長生きをする必要がある。それには必要な栄養を摂らなければならないのに。

これらも「生産」を止める行為。


だが、こういうようなことは日常茶飯事である。酷いことすら日常的におこなわれている。
なぜ「そう」なのかというと、人間には個があり、みんな置かれた環境の中で、思い思いの感情をもつからだ。救いようのないことも、人が人に対して何かを思うかぎり、どんなことでも起こりうる。

その中で、人は子を成し、懸命に働いて、子を育てる。
あるいは、子を成せず、うまく仕事もできず、社会から落ちこぼれの烙印を押されたりする。


いろんなことがある。
いろんなことがあるけれど、みんないろんなことに目をつぶっている。自分のいる世界は美しいと思い、周りにもそう思わせようとする。
でも、それが「普通」だ。
それが「大人」だ。
それが「人間」の営みだ。


はたしてそうだろうか?という問いが、奈月たちポハピピンポボピア星人の目を通すと、自然と体の中から湧きあがってくる。

奈月は言う。

大人も大変だな。大人は子供を裁くけれど、私からすると大人も裁かれている。
と。

常識は伝染病なので、自分一人で発生させ続けることは難しい。
とも言っている。

人間社会で生きるということが、個を尊重しながらも、周りから非難されないようにうまくみんなに溶け込み、かつ「種」を存続させていくことなのだとしたら、こんなに大変なことはない。
それはみんなわかっている。わかっていながら、たまに愚痴を吐くけれど、なんとか一人前の地球星人として生を全うしようとしているのだ。
それが当たり前。でもポハピピンポボピア星人には一生わからない。わからないのが幸せなのか、わかっていて拒絶したほうがいいのか。


なんか変だけどみんなそうしてるからそうしなきゃいけないんだな、を改めて考える。

本とか

主に読書感想文、たまに思ったこと。

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