某 / 川上弘美
人間は、6,7年で全細胞が入れ替わる。
うそかまことか。
しかし妙に心惹かれる説だ。人間はこういう話に弱い。
20代のときに付き合っていた二つ年上の女の子が、あるとき、この説を振りかざすように唱えた。
けんかしているときだったかもしれないし、ちがうかもしれないが、とにかく彼女の口ぶりは、静かながらも迫力があった。そして、そうであってほしい、なぜなら私は過去や現在の自分に納得がいってないから、という気持ちが汲みとれたような気がした。
この説が真実ではないにしても、生き物の細胞は、古いものは死に新しいものが生まれる。それは、時間をかけて生まれ変わっているのと、ほぼ同義だ。少なくとも体は。
では、入れ替わった先の人間は、もとの人間とまったく別の個体か。三つ子の魂百まで、とことわざにいうように、姿かたちは変わっても、「個」はそこにいつづけるのか。ではそれを決定づける「魂」とは?
『某』という物語を読んでいて心を揺さぶってくるのは、やはり、生と死のこと、性のこと、愛とか恋とかのこと、自分の存在理由、魂とはなんぞや、など。
自分はなんてチョロい人間なんだろうかと思いながら、いやいや人間なんてみんなチョロいよ?と、わかったふうな気持ちになる。ほんとはなにもわかってないのに。
そう、なにもわからない。
自分が生まれ落ちた理由も、なぜ人を好きになったり嫌いになったりするのかも、どうして大切な人が死んだら悲しいのかも、そして自分もせっかく生まれたのにいつか同じように死んでしまう理由や、死ぬことが怖かったり、死にたいと思ったりすることも。
作中で核をなす存在である「誰でもない者」は、人間とはまったく別の生命体である。彼らのする「変化」と、人間の「成長」は、別ものである。川上弘美はそう書いているし、読んでいてもそういう実感がある。
反面、人間というものに近づいていく個体も出てくる中で、両者の共通点も描こうとしている。
「誰でもない者」の「変化」は、全細胞入れ替えと似ている。ただしゆっくりではなく、ほとんど即座に行われる。しかし「個」はそこにとどまっている。前にとっていた形のときの記憶を残しながら。そこは人間とはちがうが、それまで見聞きしてきたことを頼りに生活しているところを見ると、人間の「成長」と大差ないように思える。また、個体によってその具合に差があるのも、人間と似ている。
読み終えて僕が思ったのは、どちらかというと、人間こそが「誰でもない者」だ、ということだ。
そう書くと、なんとも月並みで使い古された表現にも思えるが、いや、しかし、本当にそう思わざるを得ない。
それってやっぱり怖いなあ、という思いと、だからいいんじゃないか、という思いが、ぐちゃぐちゃにまざりあっている。
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