夜行 / 森見登美彦
森見登美彦というと、「京都」「モテない大学生」「まくし立てる台詞」などが思い起こされる。この作品にも京都は出てくるが、僕の中にある、そういったものの集合でできたいわゆる「森見登美彦像」とはまったく異なる味わいがあった。
うちの近所に稲荷神社がある。しかし神社と呼ぶにはいささか小さな、寂しい場所だ。
バス通りの横に突如現れる急な坂を登ると、それまであった街のざわめきが嘘のように感じられる雑草だらけの竹林の先に、申し訳程度に建てられたような鳥居がある。その奥にひっそりとお社が鎮座し、二匹の狐の石像がこちらを見据える間に賽銭箱が置かれている。
そこを通り過ぎても竹林がしばらく続き、やがて下り坂になり、自宅のある住宅街の区画へたどり着く。
ある日ジョギングをしていた時に見つけた場所だ。この地に住んでそれなりになるが、その日いきなり発見した。発見したというよりも、常日頃から目にしていたありふれた光景が、急に心の隙に滑り込んできたといった感じだ。それは『夜行』の作中、天竜峡あたりを走る列車の中で女子高生が語った商店の話と似ている。
その日は夕方にジョギングをしていたので、辺りはまだ明るく、竹林や鳥居や神社の輪郭はくっきりとしていた。あいにく財布を持っていなかったので、鳥居の外から一礼し、日を改めて賽銭をあげに来ることにした。
珍しく雪の積もった日の夜、まだ誰の足跡もついていない白い坂道を登り、再びお社を目指した。登り切った先は街灯もないので、思った以上に暗く、異様な雰囲気が漂っていた。人々の営みからは完全に切り離された空間だった。しかし不思議と怖い感じはしない。むしろ居心地がよかったと言ってもいいぐらいだ。僕が狐好きなせいだろうか。暗闇の中の賽銭箱に100円玉を投げ入れ、静かに参拝した。
それ以来、この稲荷神社は僕のお気に入りの場所となっている。訪れるのはきまって夜だ。
夜のお気に入りといえばもうひとつ。
家から最寄り駅への道は、だいたい2,3のルートがあり、その中に、大きな霊園の横を通るものがある。昼間は墓参客らしい数人を見かけるが、夜は誰もいないことが多い。ここを夜行するのが好きだ。「ずっと真夜中でいいのに。」などと思ったりする。
「世界はつねに夜なのよ」という、『夜行』の中での長谷川さんの台詞が妙に心に残る。何度か登場する台詞なので、この作品の核ともいえるだろうが、読む人によって印象の変わる言葉ではないかと思う。
僕にとっては心地よいものだった。単純に夜が好きだからなのか。もしくは、朝=希望/夜=絶望とした時、後者に惹かれているからなのだろうか。
主人公・大橋に差す朝日(曙光)が、僕には少し絶望に思えた。彼はずっと夜にいたかったのではないか。いや、夜にいることを、そしてその対局に眩しい朝があることを、知らないままでいた方がよかったのではないか。なんだかそんな気がした。
とは言え、僕は絶望に心酔しているわけではない。全てが白日の下に晒されることが嫌いなだけだと思う。
子供の頃の夜なんて、おばけが出そうでただ怖いだけのものだったのに。今は少し愛おしい。
夜行のお供に。
サービスエリア / 吉澤嘉代子
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