火花 / 又吉直樹
価値とは、どう決まるものなんでしょうね。
僕は、有吉弘行さんの「ブレイクするってことは、バカに見つかること」という言葉が好きなんですが、そのバカに見つかることも間違いなく価値だし、たとえ多くの人には見つからなくても同様に価値だと思います。そう思いたいだけなのかもしれませんが。
でもこれだけははっきり言えるのですが、それら有象無象が巻き起こす生存と淘汰の繰り返しを「美しい」で済ませられる域に、自分はまだ達していないようです。別に又吉さんはそんなことを言ってはいません。とは言え、渦中にいる者とそうでない者の捉え方の違いは如実で、もしかしたら、競争から降りた時点で何かが変わる可能性もあります。
僕はこの本を、序盤、半分は又吉さんのエッセイとして読んでいました。芸人として活動する上での、又吉さんの個人的な葛藤や、周りの人々から得た哲学のようなものを物語に昇華しているのだと。そしてそれはとても興味深く、個人的には歯ごたえを感じながら読んでいました。
途中から、いやこれは芸能界全体の全員による反骨日記だ、と思いました。語り口は基本的に淡々としているし、徳永と神谷のやりとりは軽妙なものが多いですが、物語が後半に差しかかると、すごく大きくて重たいものが渦巻いている感覚がありました。僕たちはここからは決して逃れられないのだなと思います。
『火花』というタイトルは、巻末に収録されている『芥川龍之介への手紙』からも読み取れる通り、芥川の著作からの引用であろうことが推察できます。又吉さんがはじめに組んだコンビの名前が「線香花火」であることも少なからず由来して、この物語の主人公のコンビが「スパークス」なのだろうとも読み取れます。しかし表紙に描かれている赤い物体は、一見誰か(何か)が赤い布をかぶっているように見えて、その足下を見ると、スライムのようなべったりのっぺりとしたものになっています。そこが、タイトルに反して、妙に作品の質感とマッチしていて奇妙です。バチッ、という火花の散る瞬間よりも、それが散った後にいやな煙の匂いが漂っている、長い時間が思い起こされます。
価値を見出されたり見出されなかったりする大いなるうねりが美しいとは思えない、と先述しましたが、反面、時にはそれを受け入れてみることで楽になる場合もあるように思います。そうじゃなきゃとてもやってられない。そして、僕たちはずっとそれを続けていくんだと思います。こういう世界にいる限り。
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