恋の回収日

 愛読するファッション誌の星占いによると、来月の恋愛運はそこそこいいらしい。

 「ピンクのフェロモンで効果テキメン?」とある。ちょうど先日銀座に立ち寄った際、わたしは珍しくピンクベージュのリップを仕入れていた。これは吉兆。



  占い監修のP・彩子(さいこ)先生は、飛ぶ鳥を落とす勢いの売れっ子占い師だ。テレビのバラエティ番組でタレント相手に占いをし、実際に結婚を的中させたりしている。

  なんとTwitterでも一日一人限定で無料占いをしている。もちろん希望者は星の数ほどいる。が、誰を占うかは完全に先生の独断。わたしもアカウントを7個作って毎日リプライを送っているものの、まだ一度も選ばれたことはない。どうやら先生の誕生日である3月15日という数字に掛けて、深夜3時15分にリプライを送ると採用されやすいということだが、あくまでそれは噂の域を出ない。わたしの統計によると、お昼すぎくらいに送られたリプライの方が選ばれている数が多い気がする。だからわたしは、お昼すぎに3個、3時15分に2個、あとは他の適当な時間に送っている。



  先生の占いによるとさらに、来月のわたしは「戦場は密室とすべし」とのこと。この場合の戦場とはもちろん“恋の”だろう。

 密室かあ。うちのオフィスに密室になる場所なんてあっただろうか。まさかトイレの個室に連れ込むとか?…違うか。そもそもトイレに連れ込める時点でその二人はすでにうまくいってるよね。そもそもわたしには気になる男もいないんだよ。カンベンしてくれよ。ほんとに来月の恋愛運いいの?信じるよ?先生。

 あとはなんだろ、居酒屋の個室とかかなあ。いや密室とは言えないか。要検討。


 さらにさらに、「たまにはアルコールの力も借りちゃえ!」という一文が続く。先生にしてはやけにストレートでシンプルすぎるアドバイスだけど、こういうの、むしろ助かります。そうだよね、なりふり構っていられないもん。ちょっとでもいいなと思ったら勢いまかせに行けよアラサー!ってことですよね。うっす。

 ゴールデン街のちっちゃい店で酔ったふりして、年下草食男子にトイレで介抱してもらうとか?なーんつって。



 さて月初めだ。ピンクベージュを塗っていざ出陣。

 気合、入ってます。
















 20日間、何も起こらない。


 うーん。

 唇は毎日ピンクなのにな。意味もなく会社の倉庫に籠ってみたりしたのにな。月水金は日替わりでいろんなバーで吞んでんのにな。リプライだって送ってんのに、箸にも棒にも掛かりゃしねえよ。伏線を張るだけ張っても、全くの無風だよ。


 嗚呼。今日も満員電車に揺られて会社へ向かう。参るよ。女性専用車両は居心地が悪い。ここはマウント地獄。男がいないといくらでも醜くなれるのが女という生き物。だからと言って普通車両でオッサンに混じるのは死んでも嫌なので、とにかくおとなしくするしかない。ねえ、じゃあこのピンクベージュのフェロモンは誰のため?

 と、車内がにわかに騒がしくなった。なんと男が乗ってきたのだ。茶髪で細身、私服姿、リュックを前に抱えている。おそらく大学生だろう。一瞬ぎょっとしたが、駆け込んできてすぐにドアは閉まってしまった。直後に小声で「あっ、ごめんなさい…」と言うのが聞こえたので、単に間違えただけだと思う。大方スマホでも見ながらホームを歩いていたのだろう。


 するとドア近くの中年女性がものすごい剣幕で叫び出した。その隣の女も便乗し始めた。その奥の、お前わりと距離遠いだろって奴も声を上げた。みな口々に、「怖い」「おぞましい」「乱暴される」などと言っている。そんなことないって、よく見てみなよ彼を。

 いつもならスルーするが、なぜだか無性にイライラした。まあ、占いのせいかな。たまたまわたしも比較的ドア近くにいたので、「この人も間違えちゃっただけみたいだから、次の駅で降りてもらいましょう」と言った。そしたら中年女性は「男をかばうの?サイテーね!」と言ってきた。

 ここはぐっとこらえたが、そのババアが「今すぐ降りなさいよ!」と言いながら彼の頭を小突き出した。わたしはカメラを起動しようとスマホを取り出した。そこで不意にTwitterの通知。なんとそれはP・彩子先生からのリプライだった!え、どんなタイミング?あ、これ、ついさっき捨てアカで送ったのに対してのリプライだ。うわあ、気まぐれだこの人。とにかくすぐに内容を確認すると、「殺し文句って素敵よね」とだけ書いてあった。え、どういうこと?

 まあいい、今はとにかくババアだ。カメラを起動しRECボタンを押した。その音で録画に気づいたババアは、わたしのスマホを奪おうとした。必死で振り払ったら、「ブスのくせにピンクなんて塗ってんじゃないよ!」とのたまった。今それ関係ねえだろ。




 その後のことは覚えていない。どうやらわたしはキレて暴れたらしい。

 K君――あの時間違えて乗ってきた大学生――が言うには、わたしはまずババアの胸ぐらをつかもうとした。その時に電車が揺れて体勢が崩れ、わたしはK君の首筋にキスしてしまったらしい。ピンクに染まった首筋は、リップの色か、それとも…。それを見たババアが「いやらしい!」と言ってきたので、わたしは携帯している消毒用のアルコールを取り出し、ババアの脳天に噴射した。それに怒ったババアがわたしの髪をつかんできたが、わたしもひるまずババアの髪をつかみ、ババアの耳元で「いいか!女が守られる時代は終わったんだよ!」と叫んだという。

 次の駅で、わたしとババア、そしてK君の三人は降ろされ、駅員さんに厳重注意を受けた。それくらいで済んで本当によかった。



 K君はわたしに感謝していた。というか、惚れられてしまったらしい。事故とは言え、首にキスしたのがよくなかったのかな。ババアと別れた直後に連絡先を聞かれた。仕事に行かなくてはいけなかったし、おそらく10歳近く離れているので断ったが、ものすごい熱量に押されて了承してしまった。  

 彼は執拗に連絡をしてきた。さすがに若い。お礼がしたいと言ってきたが、一週間ほど渋った。しかし結局会った。彼の年にしてはかなり背伸びしたであろうレストラン。ごめん、そんなにおいしくはなかったよ。あの時わたしがババアに放った言葉のことを「マジかっこよかったっす」と何度も言ってきた。いや恥ずかしいよ。こちとら全く覚えてないしね。


 流れでホテルにも行ってしまった。 

 やっぱり、若かった。



 思えば「ピンクのフェロモン」「戦場は密室」「アルコールの力」「殺し文句」と、全ての伏線が見事に回収されていたわけだが、これはあまりにも雑だ。こんなのラブコメというよりバトル漫画じゃん。感動の最終回と言うには心もとないので、今月はここで打ち切り。バイバイK君。

 大丈夫、わたしの人生はまだ始まったばかり。帰りにコンビニでいつものファッション誌を買った。来月こそ、P・彩子先生の占いに期待したい。

本とか

主に読書感想文、たまに思ったこと。

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