HENTAI PLAY

 こないだやった公演で、自分の心の中を正直に書いた。恥を売るのも表現の一環である。変態性や世間とのズレを恐れずに描くことが、真摯な姿勢だと信じている。

 でもバランスも大事だ。変なことばっかりやっていたら引かれる。目標は「見やすい変態」になること。こないだは脚本を演出家にけっこう直されたけど、まあ彼自身も書く人だし、こちらのやりたいことの核は踏まえてくれたので、別に嫌な気はしなかった。むしろそれでよくなったのだからすごい。まるで持ち込み作家とベテラン担当編集の関係のようだった。需要と供給。世間はそれでうまく回っている。

 ちなみにこの記事は自分の心の整理のために書いているので、全然読まなくてもいいです。


 自分の心の中を正直に書いて、それを人に体現してもらって、さらにこれをたくさんの人に観てもらうというのは、言ってみればプレイである。しかもここにはお金が発生している。そしてそもそもこちら発信で自発的に始めている。考えてみれば、表現というもの自体が変態性を孕んでいるのだ。なぜそんなことを続けているのかは全く分からないのだけど、ここはあまり掘り下げないでおきたい。だって自分はもうそういう人間なので。そう思うほかない。

 ただ、自分の心の中を正直に書くことは、当然ながらとてもエネルギーのいることだ。本当のことを言うとあまりやりたくない。めちゃくちゃ疲れるし、もちろん恥ずかしいからだ。でもこれをやると面白いということが分かっているので、やる。やることに異論はない。ない、が、エネルギーがいるのは確かだ。


 まあ、疲れるのはいい。あとでちゃんと休めばいいから。恥ずかしいのもいい。覚悟でなんとかなる。それらとは別に、もうひとつ重大なことが起こる。「ネタがなくなる」だ。

 ひとつのものに対してあらゆることを注いでしまう。これはおそらく自分特有の癖だ。そのとき面白いと思ったものを全力でぶちこむ。次のために…みたいな考えはナッシング。傍から見ればけっこうなことなのかもしれないが、事実、今、「なーんも面白いこと思い浮かばん」という壁にぶつかっているので、長い目で見ればあまりよくはないのだ。

 妻に言われた。なにかをやっている時の集中力はすごいけど、そうじゃない時は別人のよう。とにかく差が激しい、と。自分でもうすうす感じていたことをズバリ言われたので、実は内心ものすごくショックだった。

 なにが言いたいかというと、せっかくこのブログを立ち上げたのにあまり活用できていないので、公演準備などで忙しくしていないときは、なるべく更新しようと思っているということ。僕は俳優なのか作家なのかそれ以外のなんなのか分からないけれど、表現者ではあるので、これからも恥や変態性を売っていきたい所存です。

本とか

主に読書感想文、たまに思ったこと。

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