いっそカバとかになりたい

 雨が嫌いだ。というよりも、当たらない天気予報が嫌いだ。今日は一日晴れもようだというのを真に受けて、洗濯物を干しっぱなしにして出かけてしまった。妻も所用で不在である。家には猫が2匹いるが、突然の雨にはもちろん対処できない。家を出たほんの30分ののちに、僕はバスの中でにわか雨に気づいた。この時の絶望たるや。幸いにも、帰宅していちはやく洗濯物のぐあいを見ると、ほとんどダメージを受けていなかった。僕は胸をなでおろした。
 でも、それでいいのかな。天気のゆくえを完璧に予測するのは、人間にはどだい無理な話だとはわかっている。だけれども。僕にとって天気予報が外れることというのは、たとえば、お金がないということと同じくらいまずい状況だ。たとえわずかでも、生活と心が乱されるわけだから。人間には完璧に予測することができないとわかっていながらも、素直に予報を受け入れてしまうお前が悪いのだ、と言われればそれまでだが、天気予報を生活のたよりにしているのは事実なのだから、信じて何が悪いという気持ちになるし、そうして結局この問答は堂々めぐりになってしまう。気象予報士を責めたいわけでもない。が、腹は立つ。なんだか人間の限界を感じる。天気のように、コントロールできない大いなる力を前にすると、人間ってほんとうに何もできない。

 そもそも、水は生物に必要なものなのに、雨が迷惑な存在であるというのが、とってもやるせない。これはおそらく、中途半端に文明なんてものを手にした人間だから思うことなのかもしれない。野生動物であれば、洗濯物が乾かないとか、傘を持って出かけるのがおっくうなんてことがないから、純粋に“恵み”として雨を受け入れられるはずだ。
 数年前、付き合っていた彼女が、雨が嫌いなんて言う人はナンセンスだ、どうにもできないことはわかりきっているんだから、というようなことを言っていたが、その考えに行き着けた彼女は強いなと思った。でもまったく賛同はできなかった。だから嫌いなんだよ、と思った。雨もだし、その時点で彼女のこともすこし嫌いになった。で、のちに別れた。乾燥機がほしい。

本とか

主に読書感想文、たまに思ったこと。

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