小手指の詐欺師

 舞台で結婚詐欺師を演じたことがある。二度も。ひどい男の役だった。
 結婚詐欺師で思い出すことといえば、母のことである。べつに母が詐欺にかけられたわけではない。まだ実家にいたころ、NHKの『爆笑オンエアバトル』を見るのが、我が家の習慣だった。父も、母も、妹も、みんな一緒だった。僕は、チャイルドマシーンというコンビが好きだった。もう解散してしまったようだが。妹はたぶん、アメリカザリガニが好きだったのではないかと思う。父の趣味はよく知らない。母はといえば、おぎやはぎがお気に入りのようだった。中でも、結婚詐欺師のネタでゲラゲラ笑っていたのを強烈に覚えている。

 小木です、矢作です、おぎやはぎですが何か問題でも。お決まりのツカミで漫才が始まる。小木さんが結婚詐欺師になりたいと言う。ここで母はもう虜である。
 矢作さんは優しいので、小木が言うことだったら何でもやらせてあげたいからな、と言って、パーティーに来た女性を演じてあげる。結婚詐欺師に扮した小木さんは、いきなり貯金額を聞いてしまう。まずいまずい、まずいよね、と矢作さん。こういう時は、お仕事は何をしてらっしゃるんですか?って聞くんだよ、と言われ、聞く小木さん。聞かれた矢作さんは、父が会社を経営しておりまして、そのお手伝いを、と。じゃあ社長令嬢ですか?いえいえそんな、まあそんな感じなんですかねー。よっしゃ、とたまらず小木さんガッツポーズ。よっしゃはまずいよ、と矢作さん。逆に、お仕事は何を?と聞かれた小木さんは、フード関係の方を、と答える。食品関係ですか。いえ、パーカーのフードだけを扱っています。そんな仕事ないよ、あってもお金持ってなさそうだからだめだよ、アパレル関係とかにしときなよ。ふたりの軽妙なやりとりに、母だけでなく僕も魅せられている。面白い。漫才というよりは、ふだんの会話の延長のような感じでやっているのがすごい。高校生の僕は、この時すでに、おぎやはぎにシビれていた。
 アパレル関係の会社を経営しています、と小木さん。え、じゃあ社長さん?すごーい、会社はどのへんに?岐阜の方に。だめだなー岐阜じゃ、もっとこっちの方じゃないと。ええ、あの、小手指の方に。ここで母は思わず吹き出した。

 コテサシ。僕は小手指を知らなかった。埼玉県所沢市にある土地で、西武池袋線には、小手指行きなんてものがある。東京近郊と言えなくもないだろうが、結婚詐欺師が方便に使うには、いささか問題のある場所と言える。母は東京に住んでいたことがあった。だから、小手指という言葉選びの妙が実感できて、笑った。僕はといえば、コテサシ、という語感の面白さで笑うしかなく、土地の面白さでは笑えなかった。岐阜では笑えたのに。小手指の方に、という小木さんの言葉を受けて、行きすぎちゃったよ、青山あたりにしとけ、と矢作さんが言うので、ああ青山なら分かる、そうか、コテサシとは東京近辺の微妙な土地のことを言っていたんだな、母も笑っていたし、おそらくそういうことなのだろう、と、初めて合点がいった。合点がいったが、ここに、おぎやはぎとの、そして母との、大きな隔たりを感じることになる。
 漫才にはオチがつき、全体的には面白かったなという印象で終わったが、どうしても僕は小手指が引っかかっていた。僕はその土地を知らない。悔しかった。地元・岐阜をネタに使われたことすらも、悔しかった。それでも、おぎやはぎを嫌いになることはなかった。むしろ、おぎやはぎのネタをちゃんと理解できるようになりたいと思ったし、母とも難なく東京の話ができるようになりたかった。そういえば祖母も、その昔は東京の人だった。東京――。僕は絶対に上京してやろうと心に決めた。

 東京に出て10年以上。いまだにこのことを覚えているのは、小手指とは縁のない沿線で暮らしているからであろうか。今後も小手指方面に引っ越す予定はない。あのネタの、あの部分の面白さを完全に理解するのは、僕には一生かかっても無理なのかなあ。


本とか

主に読書感想文、たまに思ったこと。

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