ブランコ、バグ、サラリーマン

 家の近所に公園がある。限られた遊具と限られた区画、公園と呼ぶにはいささか大げさな、さみしい場所。朝は幼児連れの母親たちが談笑し、夕方になると小学生たちが自転車を脇に駐めはしゃぎ回り、夜は若いカップルが缶チューハイを飲みながらなにやらひそひそ時には大声で愛みたいなものを確かめ合っている。

 昨日の深夜、そこへ行った。この家に3年以上暮らしていて、初めて足を踏み入れた。たまに深夜の散歩を敢行することがあるが、いつもは通り過ぎるだけだった。先述のような人々が使う場所なので、僕が入るのはなんとなく場違いな気がしていたからだ。


 気づけば一時間ブランコに座っていた。秋の夜風が肌に心地よくて、いっときも苦ではなかった。帰るころには「ここ、いいなあ」とつぶやいた。

 だいたい23時から日付が変わるまで。静かな住宅街なので車や人の通りはふだんからそこまで多い方ではないけれど、この時間になるとほとんど誰もそばを通らない。それでも無人というわけではない。大声で歌いながら走り抜けていく自転車のサラリーマンがいたが、園内の街灯にぼややと照らされた僕の姿をみとめて彼はおしだまった。僕から見たら彼はちょっと変な人だったが、彼から見た僕もまた然り。僕はスマホも何もさわらず、静かにブランコに座っていただけだったから。でも彼のことを認識すると、僕もちょっとだけ恥ずかしくなり、ちょっとだけ体を丸めた。

 他人の姿をみとめて羞恥心をおぼえるあたり、つまりは彼も僕も完璧な変人ではないのだと思う。“本当の”そういう人は、自分を変人かどうか評価しない。


 職業柄か、僕は変人や奇人、狂人でありたいと思うことがある。そうなった時はきっと、確実に何かを失うという予感はある。それをおしても手にできるものがあるのなら、それでもいいと思える瞬間が増えてきた。

 でもそうなれば仕事ができなくなる。それは困る。だから都合よく脳をバグらせるスイッチのようなものを身につけないといけない。

 なんとかしてバグらせられないものか。そのためにできることは何か。バグった先でも確実に失いたくない自分の核とは何か。20代みたいな悩みを抱きながら、今日もメシ食って出かける。

本とか

主に読書感想文、たまに思ったこと。

0コメント

  • 1000 / 1000