飛影はそんなことも言う

 人前に出る職業を選んだ以上、誰かに何かを言われたり思われたりすることは覚悟しなくてはいけない。

 いや、SNSが発達し、誰でも自分の考えを世界中に発信できるようになった現代において、もはやその限りではないだろう。


 「イメージ」という言葉がある。 

 真面目なイメージ、毒舌なイメージ、女性に優しいイメージ、バカなイメージ、男勝りなイメージ、笑わなそうなイメージ、政治的発言をしないイメージetc。それはその人のラベルになり、売りになり、そしてやがて商品となる。

 これを良い方に覆すと「ギャップ」、悪い方に覆すと「イメージダウン」「期待外れ」となる。 



 「イメージ」を作るのは何か。


 それは周囲であり、

 環境であり、

 社会であり、

 歴史であり、

 他人であり、

 そして、自分である。


 たとえば僕は太るのがいやだ。以前少し肉が付いた時に、自分を醜いと思った。だからがんばって痩せて、それをキープしている。以来、自分の肉体を見るのが好きだ。

 これはモテるためでもあるし、美しいと思われたいがためでもあるが、何よりも自分のためである。納得のいく自分でいるためのやり方だ。

 でもそれを続けると、「彼はこういう体型の人だ」というイメージを周囲に植え付けることにもなり、時として自分の首を絞める。お菓子食べたいアイス食べたいを我慢することは確かに苦行だが、そもそも自分のために自発的に始めたことなので仕方がない。…はずなのに、「ここで食べたら、結果的に人から変な目で見られることになるかもしれない」という考えになる。さらに行き過ぎると「イメージが崩れる」「期待を裏切ってしまう」「嫌われる」という思考になっていく。別に自分の一存でサボったっていいのに。

 目的が本来のものから逸れるのは、とても危険だ。



 「人間は多面体」とは、僕の大切な人が言った言葉である。その通りだと思った。

 でも、人はこれを簡単に忘れることができる。何より自分自身がいちばん忘れてしまう。




 ところで、一部界隈で有名な「飛影はそんなこと言わない」という台詞がある。

 詳細は以下参照。(一応下ネタ注意)


   【飛影はそんなこと言わない】


 これによると、とある腐女子は実際にはこの台詞を言っていないらしい。が、似た主旨のことは言ったようだ。

 これが曲解され脚色され、今では「あるキャラを盲目的に崇拝しているオタクは、その頭の中で作ったイメージ外のことを受け入れない」という場合の代名詞として使われる。

 飛影は架空のキャラクターだし、そもそも厳密には人間ではなく妖怪なのでどう解釈したっていいのだが、こういうことが現実世界にも当たり前に蔓延すると、人はどんどん視野が狭くなっていく気がする。などというのは考えすぎだろうか。


 とか言って、「オタクってこうだよね」というのすらイメージなわけで。

 人生は迷宮だ。

 僕は、あなたは、何面体なのか。




本とか

主に読書感想文、たまに思ったこと。

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