趣の味
私には趣味がある。ずばり「趣味探し」だ。
自分にぴったり合う趣味はいったい何なのかを探す、それが趣味探しである。お察しのとおり、とどのつまり私には趣味がないということになるが、それを探すことそのものを私は趣味にしてしまったわけだ。逆転の発想である。我ながら見事と言うほかない。
ご理解いただきたいのは、他の無趣味人間と私とでは雲泥の差があるということだ。一般的に、無趣味の人間は二種類に分けられる。ひとつは、無趣味のまま通す者。これは潔い生き方である。かつての私もそうだった。もうひとつは、無趣味でいることに耐えられず闇雲に趣味を見つけ出そうとする者。この後者と私は、似ているようだが全く違う。
闇雲無趣味人間は心が貧しい。趣味があることに己のアイデンティティを求めようとする。自分が他者からどう見られているかを常に気にしている。それを手がかりとして人間関係を構築しようというのが丸見えで、汚い色気を醸し出す。対して私は、趣味探しという行為自体を楽しんでいる。他人にどう思われようと構わないし、やめろと言われても頑として続ける心づもりなのである。言うなれば私は、無趣味人間界に彗星のように現れた第三勢力だ。これらの違いを肝に銘じておいてほしい。
きっかけは、友人からの釣りの誘いだった。私の無趣味を案じてのことだと言っていたが、それは口実で、彼は取ったばかりの船舶免許を私に自慢したかっただけなのだ。彼には友人と呼べる人間が私ぐらいしかいないので、操舵の腕前を見せびらかす相手として他に選択肢はなかったのだろう。釣り具は彼が一式貸してくれるというし、断るのも忍びないので同行した。
彼の舵取りはひどいもので、私は乗船して二分で嘔吐した。すぐにでも帰りたかった。しかし体に力が入らない。うつろな目で海面を見ていると、私の吐瀉物にみるみる魚が寄ってきた。ゆうべ食べたカレーうどんがよかったのだろうか。ともあれそれは地獄のような光景だった。それを見て、彼は操舵の手を止めすぐさま地獄に竿を投げた。いとも簡単に一尾のイワシが釣れた。だが依然として地獄は海を漂っていた。彼は「ヒャッホー!」と言い、続けて今度は大きな網を投げ入れ、イワシとゲロを文字通り一網打尽にした。
私は朦朧とする頭で、「はじめからこれを狙ってたんだよ」と彼が興奮気味に言ったのを聞いた。そんなわけはないだろうと思った。獲ったイワシは船の上で彼が焼いてくれたが、当然私は一尾も食べる気にはなれなかった。信じられないという顔を私に向けたのち、彼は全て平らげた。どうかしている。
そんなわけで私の釣りヴァージン喪失は地獄に終わった。しかし彼の異様なまでの魚への執着心には感服するものがあった。彼のことは学生時代から知っているが、あの狂気にも似た情熱を見たのはそれが初めてである。そこで私は考えた。彼のように狂うほど熱中できるものが、私にもあるのではなかろうか。彼にあるのだから私にないはずがない。そうだ、趣味を探そう。
かくして私は趣味探しという趣味を始めた。先述のことからも分かるとおり、これは単に趣味を探すということには留まらず、己の中に潜む狂気と向き合う作業だと言える。そういう意味では瞑想に近いかもしれない。今一度言っておくが、付け焼き刃のアイデンティティにすがる闇雲無趣味人間とは違う。もっともっと奥に潜んでいるものを、ただ見てみたいだけなのだ。私はすでに自分という人間を確立しているので、これ以上自分と向き合う必要はない。したがって狂気を探るという行為は完全なる余暇である。道楽である。つまり、趣味である。
趣味探しはガムを噛むのに似ている。新しい趣味候補はいわば新品のガムだが、しばらく噛んでいるうちに味がしなくなる。そうなれば吐き捨ててしまえばいい。そうしてまた違う味のガムを探す。ガムによっては味の持ち具合も違ってくるが、これは趣味に対する興味の度合いと同じことだ。
しかしガムと違うのは、趣味には金がかかるものがたくさんあるということだ。釣りなどはいい例で、本格的にやろうと思えば車ぐらいは買えてしまう。そう、その車もまた、趣味になり得る。他にも、ゴルフ、キャンプ、スノーボード、音楽、観劇、乗馬、熱帯魚、カメラ、インテリア、などなど。
金のかからないものもある。そういったものの中で比較的熱中できたのが、不動産屋巡りだ。知らない街の不動産屋を見て回り、住む気もないのに物件を物色し、時には実際に話を聞いてみて内見までさせてもらい、間取り図を大量に仕入れてきてそれらを見比べ、ひととおり暮らす妄想をしたら、次の街へ向かうというものである。かかるのは電車賃ぐらいだ。ある時わりと気に入った街と物件があり、ここで暮らすならこういう具合だろうと、カフェに入りアイスコーヒーをテイクアウトしてみた。それを飲みながら実際に商店街を歩いたところ、そこで急に冷めた。要は満足したのだ。氷が溶けたコーヒーは、味がしなくなっていた。
趣味探しの一環としてナンパに没頭していた頃、一人の女と出会い、のちに結婚した。三ヶ月後に女児を設けた。五年目にマンションを買い、同じ年に男児を設け、その半年後に別れた。
これが人生で一番金がかかり、かつ一番長く味が続いたガムである。唯一自分以外の者の意志でやめることになったものでもある。
現在私が没頭しているのはパチンコである。ただこれは趣味探しではなく、金を得るためにやっていることだ。
趣味探しの方はと言うと、私はこれまで様々な趣味候補を試してきたが、趣味には金以外にも、時間と手間と心を使うということを知った。そのため今は、単にガムを噛んでいる。これこそが究極に効率化された余暇である。逆転の逆転の発想である。我ながら見事と言うほかない。
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