ピンクの電話

 初めてスマホの液晶にヒビを入れてしまった。不注意で落とした自分が悪い。右下から左上にかけて、大きな亀裂が走っている。割れはじめの部分をスワイプしてみると、指先にほのかな痛み。幸いなことに動作に支障はないが、これではケガをする危険があるし、何より初めてのヒビ割れ経験にかなりショックを受けている。

 機種変更だ。実は数か月前から端末が熱くなりやすくなっていたし、充電も持たないでいた。さらには、戯れに中身を見ようとして蓋を開けてみたらうまく閉じなくなってしまって、仕方なく輪ゴムを巻いて固定せざるを得ない始末。これではあまりに不格好だし、ポケットから取り出す時に輪ゴムが外れないように気をつかわねばならなくて、これが地味にストレスフルなのだ。そもそも充電が持たないのは、輪ゴムできつく固定することによって熱がこもりやすくなったことが原因かもしれない。どちらにせよ、ぜんぶ、自分のせい。いい機会だ、機種変更しよう。

 だが、あいにく明日は土曜日だ。携帯ショップはやっているのか?やっていないんじゃないか?いやはや、なんて最悪のタイミングだ。この時点でほとんど心は折れていた。この世の終わりみたいな顔をして、半ば凶器と化しつつある愛機を操って、近所の店を検索してみる。定休日、第3火曜日、と書かれていた。なんと!携帯ショップは土日もやっているものなのか!神はこんな不甲斐ない私にも救いの手を差し伸べてくださるというのか。病院よりも頼りになるではないか。即決だ。明日すべてがつつがなく改善されるように、今夜は早く寝よう。


 夜が明けて、さっそく目当ての店まで自転車を飛ばす。ところが目的地が近づくにつれて、なんだか憂鬱な気持ちになってきた。携帯ショップって、こう、怖い。プランとかよく分からないし、説明されたところでなお分からないし、分からないです、と言ったら馬鹿だと思われそうだし、結果的に高いお金を払わせられることになっても、ぜんぶ自分で決めたことじゃないすか、とか言われそうだし、何より初対面の人とそんなに話せない。

 それから、新しい機械を持てた喜びのあとに、たいへん骨の折れる作業が待っていることに気付いてしまったのだ。データ移行。あれは地獄だ。最悪、一日中やる羽目になる。クラウドなんてものが登場してくれたおかげで、昔よりもいくぶんか楽になったとは言え、作業そのものからは逃れられない。SDカードという手もあるが、僕はあれがどうしてもだめだ。あんなプラモデルのどっかの関節の部品みたいなものに、自分のこれまでの生きざまを収納されてたまるか、という前時代的な考えがあるのだ。もう平成も終わるというのに。あと関節は大事な部位であるのに。

 また、僕は変化というものをあまり好まない。できれば今使っているのと全く同じ具合に、新しいものも操作したいのだ。着信音も、壁紙も、アプリの配置まで、すべてまるっと同じでないと落ち着かない。その手間が、もう。簡単な操作でやれるのだとしても、一度その手間を経由しないと元には戻れないというのが、なんだかこう、人生と同じだよなあ、覆水盆に返らず、ヒビ割れつるつるに戻らず、だなあ。とかなんとか思っていはいるものの、なるべく新しい機種にはしたい。是が非でもしたい。人間の欲望たるや。

 今使ってるやつの、いちばん新しいやつがいい、それで安いの、みたいな不躾なことをほざいたのに、店員のHさんは親切だった。不躾な営業をすることなく、はいはいぜんぶ分かってますよー、といった感じで、なるべくお財布に優しいものと、少し値は張るが高性能なものを比較してくれた。プラン説明も、すらすら理解できた。自分でも不思議なくらいに、思ったことも素直に質問できた。これだ。久々にちゃんとした社会人と接すると、ふだんからもっといろんな人と深い関係を築いていこう!とすら思わせられる。今回の一番の収穫は、携帯ショップは神域だと分かったこと。怖くない。

 目当てのものは手に入った。唯一の不満は、欲しかった黒いのの在庫がなくて、次点の白も切れていて、ピンクのを買うことになったくらいだ。実物を見ると、まあ確かにピンクだが、そこまで大胆なピンクではなかった。淡いゴールド、みたいな、雰囲気ですかね、とHさんが気をつかってくれたので、ああ、まあ、そう…すね、と僕は答えた。Hさんがそう言ってくれるならいいか、と思えてそれが決め手になった。だが家に帰って改めて見てみると、やはりピンクだった。それにデータ移行には結局半日かかった。とは言えほぼ元通りにできたわけだし、そういえば以前トイレに携帯電話を流してしまったことがあったけど、あれに比べれば今回のことは屁でもないなと思った。ピンクだけど。

本とか

主に読書感想文、たまに思ったこと。

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